2012年01月31日

1月も終わりです(1/31)

(1/31・火)
 早いもので、今日で1月も終わりですね。
 ところで、日本では旧暦1月を睦月(むつき)と呼び、現在では新暦1月の別名としても用いています。
 睦月という名前の由来には諸説ありますが、最も有力なのは、親族一同集って宴をする「睦び月(むつびつき)」の意であるとするものだそうです。
 他には、「元つ月(もとつつき)」「萌月(もゆつき)」「生月(うむつき)」などの説があるそうです。 
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2012年01月30日

「漆器」の手入れ(1/30)

「漆器」の手入れ
 1月は漆器を使うことが多かったと思います。
 ところで、漆器というとなにか特別なもの、改まったものという印象があるようですが、実は漆器は手入れも簡単で、長持ちして、毎日使えば使うほど味わいを増し、その良さがわかってくる器なのだそうです。
 やわらかな口当たりと、手に持ったときの温もりなど、漆器にはたくさんの「用の美」が詰まっているそうです。
 手入れのポイントとしては、漆の下の木地は呼吸しているそうなので、長時間水につけておくのは禁物だそうです。
 汚れは、ぬるま湯でさっと洗うだけで落ちるそうですが、油汚れの場合はやわらかいスポンジに中性洗剤をつけて汚れを落とし、ぬるま湯できれいに洗い流したほうがいいそうです。最後に乾いた布で水気をしっかりと拭き取ればいいそうです。
 収納は、普段使っている食器棚に収納していいそうですが、欲をいえば湿気が適度にあるところがベストだそうです。大切だからといって、押し入れの天袋などにしまい込むと、乾燥しすぎて劣化の原因になるそうです。
 いつも手に取れる身近な場所に収納しておけば、日常遣いとして定着し味わいが増すみたいです。
作成者:Sato


  


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2012年01月29日

子どもチャレンジクラブ(1/29)

(1/29・日)
 今年初めて、今年度通算して7回目の「子どもチャレンジクラブ」が行われました。
 当初の計画では昨日28日(土)に行う予定でしたが、六合東小学校が学校行事(文化発表会)のため、講師の先生方を始め関係の皆様方に無理を言って今日に変更していただきました。
 前回(先月)は、外の風が強く、グラウンドゴルフの皆さん方には気の毒でしたが、今日は前日までの強風や寒さと違い、穏やかな気候で、はつらつと活動していました。

































































作成者:Satoemoji15
  


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2012年01月28日

味噌づくり

(1/28・土)
 一昨日(26日)、公民館の調理実習室を使って、「あけぼの健康グループ」の方と「市民学級」の方々合同での「味噌づくり」が和気あいあいと行われました。
 「味噌」といえば、どこの家庭にでもある基本の調味料ですが、最近ではスーパーでパック入りの味噌を買ってくるのが、ごく当たり前になってますね。
 でも昔は「自分の家で作る味噌が最高」だったようです。「手前味噌」という言葉があるくらいですから・・・。
 また、みそ作りには3つの楽しみがあると聞きました。「作る楽しみ」「待つ楽しみ」そして「食べる楽しみ」。だそうです。
 約半年後に、美味しい手前味噌ができあがるといいですね。
作成者:Sato


  


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2012年01月27日

「にこにこ広場」の活動

(1/27・金)
 連日、寒気に覆われていますが、子ども達の健やかな成長を願い、“子育ての悩みや心配事を相談したいなあ、子どもは大きくなったかな?ママ友達が欲しいなあ、親子で安全に安心してあそびたいなあ”、などの要望に少しでも応えようと、地域子育て支援の活動である六合第二保育園主催の『にこにこ広場』の活動が、昨日(26日)外の冷たい風に負けないような熱気に包まれて行われ、公民館には、小学校の子どもたちに負けないような小さな子どもたちの声が響きわたり、活気がみなぎっていました。
 六合第二保育園では、子ども達の健やかな成長を願い、“近所に遊べる広い場所(公園など)がない・・・、お兄ちゃんお姉ちゃんが幼稚園や学校に行っている間でも・・・、ママ友達が欲しいなあ・・・、入園前だけど保育園の雰囲気を知りたいなあ・・・”、などの要望に、少しでも応えようと当公民館では月2回実施しています。
 子育て真っ最中の親同士が一緒に、子育ての悩みや喜びを分かち合い、友だちになっておしゃべりしたり、安心安全な場所で子どもと一緒に遊んだり、悩みを保育士さんに相談したり、入園前の保育園の雰囲気を感じたりして、育児をもっともっと楽しんでいただきたいそうです。
 また、保育園近くの東町公会堂「ひなた」を使用したり、園庭を開放したり、電話相談も行っているそうですので、地域の皆様を始め地域外の方々にも幅広くご活用して頂きたということなので、お誘い合わせの上ご活用ください。
 担当の六合第二保育園の先生方は、終わってからも部屋やトイレ等をしっかり見回って、きれいに掃除してから帰ってくれています。ありがとうございます。
 尚、今日(27日)予定されていました社会教育課主催の「子育て広場“ロクティ”」の活動は、インフルエンザの影響を考慮して中止になりました。
 実施に関しての詳しいことは、「子育てカレンダー」(島田市市民福祉部児童課発行)や「六合公民館メモ」等で、開催日を確認してください。

 子ども達の健やかな成長のためにも、いろいろな「子育て支援事業」の活動をご活用していただければ嬉しいと思っています。
作成者:Sato


  


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2012年01月26日

「金閣」の模型

(1/26・木)
 今日(26日)、元六合コミュニティ委員会会長で、子どもチャレンジクラブ推進委員をやっていただいている曽根龍夫様が、昨年の「安土城」と引き替えに「金閣」の模型を持って来てくださいました。ありがとうございます。
 「金閣」は、ご存じのように「金閣寺(きんかくじ)」と呼ばれていますが正式には「鹿苑寺(ろくおんじ)」といいますね。
 金閣寺の歴史を振り返ると、古くは鎌倉時代に藤原一族の藤原公経(西園寺公経)(さいおんじきんつね)がこの地に西園寺を建立しました。鎌倉幕府滅亡後、荒れ果てた西園寺を足利義満が譲り受け、「北山殿(北山第)」と呼ばれる大規模な邸宅を造営しました。邸宅とはいいながら御所に匹敵する大規模なもので、義満はここで政治の実権を握りました。足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。 「舎利殿」は 金閣寺を代表する建物です。漆塗りに金箔を張ったこの建物は、足利義満が造営した北山山荘で唯一解体を逃れた建造物です。残念ながら1950年の失火で全焼しましたが、1955年にほぼ焼失前の状態に再建されました。上層の天井板は「楠天井の一枚板」であったと言われていますが焼失したため確認はされていません。
 金閣寺の失火については「三島由紀夫の金閣寺」や水上勉の「金閣炎上」など文芸作品の題材ともなりました。
 3層構造の豪華な造りの金閣(舎利殿)は2層目、3層目には漆に金箔が押されています。金閣は各層に別々の建築様式を採用した異色の造りになっています。屋根はこけら葺きで頂上には鳳凰が輝いています。
 ・1層(初層)=寝殿造りで法水院(ほうすいいん)と呼ばれ、中央に宝冠釈迦如来像、向かって左に足利義満像が安置されています。
 ・2層=武家造りで潮音洞(ちょうおんどう)と呼ばれ、岩屋観音像と四天王像が安置されています。
 ・3層=禅宗仏殿造りで究竟頂(くっきょうちょう)とよばれます
 ・屋根=椹(さわら)の薄い板を重ねた柿葺(こけらぶき)で上には鳳凰が飾られています。
 正面玄関前の廊下に展示してあります。ぜひ、来館された折にはご覧ください。
作成者:Sato

  


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2012年01月25日

施設長会議(1/25)

(1/25・水)
 「第2回 施設長連絡会」
 昨日(24日)、午後3時から楽習センターで「今年度第2回目の施設長連絡会」が行われました。 
 中村課長の挨拶に続いて、最大議題である、「平成24年度予算の内示」と、「今年度の予算執行等」について話し合われました。来年度の予算に関しては、社会教育課の課長を始め職員の皆様方のご尽力で緊縮財政の中、どうにか昨年度並みの予算を確保していただきましたが、カットされた予算もありました。しかし、活動には、大きな支障をきたすこともないと思われます。本当に有難いことです。
 その後、「パソコンの基礎とセキュリティ」について、学習しました。
 最後に、「公民館運営審議会の運営委員会の代表者変更による後任委員の委嘱準備」を進めるようにとのお話もありました。
作成者:Sato


  


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2012年01月24日

道悦ふれあい会(1/24)

(1/24・火)
 今日、今年最初の「道悦ふれあい会」(道悦島地区社会福祉協議会主催;代表:新井道悦島自治会長)が、30名以上の参加者のもと多目的ホールで開催されました。
 最初に健康診断で血圧測定や保健士さんの指導をいただき、その後民生児童委員やボランティアの方々の協力で歌唱やリズムゲーム等をして楽しいひとときを過ごしました。和気あいあいとした楽しい雰囲気の中で、笑顔たっぷりの中、終了しました。
 役員の皆様や関係者の方々、早朝よりの準備等ありがとうございました。
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2012年01月23日

インフルエンザから身を守ろう(1/23)

(1/23・月)
 市内の小・中学校を中心にインフルエンザがはやっています。
 インフルエンザと“かぜ”(普通感冒)とは、原因となるウイルスの種類が異なり、通常の“かぜ”(普通感冒)は主にのどや鼻に症状が現れるのに対し、インフルエンザは急に38~40度の高熱がでるのが特徴だそうです。さらに、倦怠感、筋肉痛、関節痛などの全身症状も強く、これらの激しい症状は通常5日間ほど続くそうです。また、気管支炎や肺炎を併発しやすく、重症化すると脳炎や心不全を起こすこともあり、体力のない高齢者や乳幼児などは命にかかわることもあるそうです。
 日本におけるインフルエンザの流行・拡大は、小学校で始まると考えられています。 小学生は罹患(りかん)率が高く、それが家庭で成人や高齢者に感染していきます。
 高齢者は罹患率は低いのですが、逆に死亡率は高く、インフルエンザは 高齢者にとって「老人の最期の生命のともしびを消す疾患」とも言われているそうです。
 また、小さなお子さんの場合、処置が遅れると、インフルエンザ脳症をはじめ様々な合併症や重症化を招く恐れがあるそうですので、お父さん、お母さんをはじめ周りの方が注意してあげてください。

 日常生活ではまず、体調を整えて抵抗力をつけ、 ウイルスに接触しないことが大切だそうです。
 また、インフルエンザウイルスは湿度に非常に弱いので、室内を加湿器などを使って適度な湿度に保つことは有効な予防方法だそうです。
1) 外出後の手洗い等
  手洗いは手指など体に付着したインフルエンザウイルスを物理的に除去するために有効な方法であり、 インフルエンザに限らず感染予防の基本です。また、外出後の手洗い、うがいは一般的な感染症の予防の ためにもおすすめします。
2) 適度な湿度の保持
  空気が乾燥すると、のどの粘膜の防御機能が低下し、インフルエンザにかかりやすくなります。特に乾 燥しやすい室内では加湿器などを使って、適切な湿度(50~60%) を保つことも効果的です。
3) 十分な休養とバランスのとれた栄養摂取
  体の抵抗力を高めるために、十分な休養とバランスのとれた栄養摂取を日ごろから心がけましょう。
4) 人混みや繁華街への外出を控える
  インフルエンザが流行してきたら、特にご高齢の方や基礎疾患のある方、疲労気味、睡眠不足の方は、 人混みや繁華街への外出を控えましょう。やむを得ず外出をして人混みに入る可能性がある場合には、あ る程度の飛沫等を防ぐことができる不織布(ふしょくふ)製マスクを着用することはひとつの防御策と考 えられます。ただし、人混みに入る時間は極力短時間にしましょう。
※不織布製マスクとは・・・不織布とは「織っていない布」という意味です。繊維あるいは糸等を織ったりせず、熱や化学的な作用によって接着させて布にしたもので、さまざまな用途で用いられています。市販されている家庭用マスクの約97%が不織布製マスクです。

【運悪くインフルエンザにかかったら・・・】
1) 具合が悪ければ早めに医療機関を受診しましょう。
2) 安静にして、休養をとりましょう。特に、睡眠を十分にとることが大切です。
3) 水分を十分に補給しましょう。お茶やスープなど飲みたいもので結構です。
4) 咳・くしゃみなどの症状のある時は、周りの方へうつさないために、不織布製マスクを着用しましょ  う。
5) 人混みや繁華街への外出を控え、無理をして学校や職場などに行かないようにしましょう。
作成者:Sato


  


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2012年01月22日

カレーライスの日(1/22)

(1/22・日)
 今日1月22日は「カレーライスの日」だそうです!
 1982(昭和57)年のこの日、学校給食35周年記念に全国学校栄養士協議会で1月22日の給食のメニューをカレーにすることに決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食が出されたからだそうです。
 カレーライスは当初、ライスカレーという呼び方が一般的だったそうですが、1960年代後半ごろから、カレーライスという呼び方が優勢となったそうです。移行期にはその違いについてあつい議論が交わされていたとか・・・。さすがカレー好きの日本人ですね。
 カレーライスは、インドを植民地支配していたイギリスが、インドの「カレー」を改変して自国に持ち帰り、明治時代にそれがさらに日本に伝来して改変された料理で、皆さんご承知のように、野菜や肉などの具をカレーソースであえた「カレー」を、平皿に盛った米飯(ライス)に掛けた料理ですね。
 現在日本では、カレーライスはラーメンと並んで国民食と呼ばれるほど人気がある料理で、小中学校の給食メニューの人気アンケートでも、つねに上位に挙げられています。「カレー」と略称されることも多いですね。
 東日本では豚肉を使用したポークカレー、西日本では牛肉を使用したビーフカレーが定番と言われているそうです。
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2012年01月21日

コミュニティ定例役員会(1/21)

 (1月21日・土)
 昨夜(20日)、コミュニティの定例役員会がありました。
 今年初めての会合で、主な議題は「平成24・25年度の防犯パトロール」についてでした。『地域の子どもは地域で(犯罪等から)守ると共に、地域の安全確保で住みよいまちづくり』の為にと、平成18年度から続いている活動です。毎月第1・2日曜日の夕方(午後4時~)と第2・4土曜日の夜間(午後7時30分~)、それに8月1日から25日までの夜間巡視について、各団体別推薦要請人数や巡回の仕方等について審議しました。
 詳細については、新年度に担当の生活部会や本部に一任して決めていただくこととして、パトロールそのものは本部案通り継続して実施することになりました。
 また、各部・各団体から事業報告や連絡等がありました。
 その後、今後の事業等について連絡と、年度末に向けての連絡があり終了しました。
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2012年01月21日

大寒(1/21)

(1/21・土)
「大寒」
 今日は、大寒ですね。
 大寒(だいかん)は二十四節気のひとつで、今年は今日(21日)です。この日から立春までの期間を指すこともあります。大寒は『寒の内』の真ん中でもっとも寒い時期をあらわします。最低気温が観測されるのもこの頃が一番多くなっています。
 今日も冷たい雨が降っていますし、前日(20日)には、静岡の山間部や東京など関東平野にも雪が降りましたね。
 武道ではこの頃寒稽古など、寒苦に耐えて心身を鍛練する修行が多く行われます。また、凍り豆腐、寒天、酒、味噌など寒気を利用した食物が仕込まれる時期にもあたります。「寒」には、不思議な力が宿っているのかもしれませんね。
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2012年01月20日

二十日正月(1/20)

(1/20・金)
「二十日正月」
 今日は、「二十日正月」といって、昔の、万事のんびりした時代でも、20日を限りに正月気分を脱しました。正月の祝い納めの日でもあり、かつては仕事を休み、物忌みをしたそうです。
 この日の早朝には、正月にお迎えしていた歳神様方が、それぞれの居場所にお帰りになる日と考えられていました。歳神様がお帰りになると言うことで、その前夜、つまり十九日の夜には、尾頭付きのお膳や、小豆御飯をお供えする地方もあるそうです。
 歳神様方が全てお帰りになりますから、この日には正月の飾り物などは全て片付けて、正月行事を締めくくる日と言われています。もっとも、現代ではこの時期までのんびり正月気分ということはなくなっていると思いますが・・・。
 また、二十日正月を骨正月(ほねしょうがつ)と呼ぶ地方(主に関西以西)があります。
これは、正月に塩鰤(ぶり)を食べる地域で、正月の晴れの魚である塩鰤を大根やごぼう、里芋などと一緒に煮て、骨まで残さず食べ尽くしてしまう日ということで、この名が生まれたと言われています。魚と言えば、最後に残るのは骨と頭、と言うことで骨正月のほかに、頭正月(かしらしょうがつ)とも呼ばれるそうです。ブリは小より大に至るに従って次第に名を変えます。成長につれて名が変るように、人も師の教によって心の徳が増すことを祝います。師は人の孝悌(こうてい)の道を教え、天下を治める道さえも知らしめるものです。そこで、縁起のよい魚偏に師の字を書いた鰤(ブリ)を用いたと言われています。
 正月七日、十一日、十五日と正月終わりの行事はいろいろありますが、いろいろあった正月終いの行事も、この二十日正月でいよいよ最後となります。
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2012年01月19日

市民学級の活動(1/19)

(1/19・木)
「市民学級の活動~知って良かった弔事の心得~」
 長寿を全うする人、病気や事故などで忽然と死に至る人・・・。
 誰もが必ず迎える「死」に対し、「葬」という儀式はその人の人生を閉じ、生きている人がその死を悼む場です。
 世界中に「葬」の儀式とその作法がありますが、知っているようで細かいところで知らない部分も多くあります。
 私たちには独自に育んできたしきたりがあります。古来からのしきたりは、日本人が心を尽くすのに最もふさわしい方法ともいえます。
 今回は、講師に「新日本作法会、日本子ども作法会の太田様」をお招きして、葬式、通夜等々について、仏式、神式を実技を交えて貴重な勉強をしました。
 最後に、先生を交えて受講生みんなで、お茶とお菓子をいただきながら、質問コーナーとして、お茶の出し方やいただき方までも学ばせていただきました。
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2012年01月18日

今日の館内では・・・(1/18)

(1/18・水)
 1階の多目的ホールと第3集会室、それに駐車場のレントゲン車では昨日に引き続き、島田市健康づくり課が実施している婦人科検診が8時30分から実施されています。
 島田市健康づくり課の方々や、聖隷病院の方々には「島田地区婦人科検診(乳がん検査、子宮頸がん検査)」のために、2日間共朝の7時45分頃から準備をしていただきまして、ありがとうございました。







 また、2階の第1・2集会室では毎週水曜日に行われている、市民福祉部:長寿介護課主催の高齢者の方々への健康増進と介護・認知症予防を図るための「げんき教室ろくごう」の今年2回目の活動が行われています。最初に血圧を測ったり、健康相談や健康に関する食事(栄養)関連の講話を塩沢先生から聞いたりした後、市歌のメロディに合わせて体を動かす「しまだ市っ歌り(しっかり)げんき体操」やトランポウォークを行い、ゆったりした動作の中、筋肉を強化できるストレッチ効果を実践していました。受講生の皆様方には、寒さに負けず、これからも元気に頑張ってもらいたいと思いました。
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2012年01月17日

婦人科検診(1/17)

(1/17・火)
 昨年度に引き続いて、今年度も婦人科検診が実施されました。
 島田市健康づくり課が実施している「島田地区婦人科検診(乳がん検査、子宮頸がん検査)」が、昨年度から当公民館でも受診会場となり、午前8時30分から受診できることになりました。
 関係の方々は、朝の7時30分前頃から準備をしてくれました。
 受診日は、今日17日と、明日18日(水)、の2日間です。
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2012年01月16日

藪入り(1/16)

(1/16・月)
 今日16日は「藪入り」ですね。
 奉公人(使用人)が休暇をもらって生家へ帰る日です。江戸時代までは商家の奉公人は今日と7月16日(お盆)の年2回のこの藪入りの時だけ、お店を休んで実家に帰ることができました。どんなに寝坊の人も、暗いうちから目をさますという、大変嬉しい日だったそうです。
 明治になって「週」の制度が入ってからも、外国系の企業以外は昭和初期までこの風習が残っていたようです。昭和初期の頃ですと、一般には商家の主人が奉公人に小遣いを持たせて家に帰し、戻ってくる時は母が送ってくるといったものもあったようです。
 ところで、落語の「藪入り」は、久しぶりに帰ってくる息子を何日も前から心待ちにしている両親と、少ない給料からやっと貯めたお金を両親にあげようとする孝行息子の噺です、遠く離れた親子の情を「藪入り」という風習にからめてお客さんの涙を誘う名作ですね。
またこの日は、閻魔様の縁日でもあります。そのため「地獄の釜のふたが開く」と言われ、海に出ることを禁じてきたそうです。この日に地獄の十王詣でをする人もあり、藪入りで帰った人が故郷の閻魔堂にお参りに行く風習もあったそうです。
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2012年01月15日

小正月(1/15)

(1/15・日)
「小正月」
 かつて正月は1年の最初の満月の日、旧暦1月15日でした。その後、新暦が採用されて1月1日を始まりとしたため、15日は小正月と呼ばれるようになりました。
 小正月は、邪気を祓う小豆粥を食べて無病息災を願い、稲穂に見立てた柳の枝に小さく丸めた餅を刺して「餅花」を作り、豊作を祈願したそうです。地域によっては、「粥占い」や「鳥追い」などの行事をして豊作祈願をしたりするなど農耕と深く結びついた習慣が多く見られるそうです。
 また、この日を「女正月」と呼ぶ地域もあって、お嫁さんが里帰りをしたり、大正月に忙しく働いた女の人たちがゆっくり休む日になっているそうです。
 さらに後には、小正月のドンド焼きの火を年神様を天に送り返す火と見るようになり、これをもって正月の終わりと位置づける見方も生まれてきました
 このように、小正月の特徴は郷土色豊かな行事が多いみたいですね。
 忘れてならないのは、元服の儀を小正月に行っていたということです。かつては、1月15日は「成人の日」ということで国民の祝日となっていましたね。しかし、その名前から小正月との関連がわかりづらく、かつ、時代の流れで小正月自体があまりなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されてしまいましたね。
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2012年01月14日

どんど焼き(1/14)

(1/14・土)
 、左義長(三毬杖・さぎちょう)という小正月に昔の宮中で行われた火祭りの行事が民間行事になったもので、もともと吉書を焼く儀式でしたが、お正月のお飾りを焼くようになりました。
 1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を3、4本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼きます。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べたり、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくと、その年の病を除くとも言われています。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われています。
 民俗学的な見地からは、門松や注連飾りによって出迎えた歳神を、それらを焼くことによって炎と共に見送る意味があるとされています。お盆にも火を燃やす習俗がありますが、こちらは先祖の霊を迎えたり、そののち送り出す民間習俗が仏教と混合したものと考えられています。
 どんど、どんど焼き、とんど(歳徳)焼き、どんと焼きとも言われますが、歳徳神を祭る慣わしが主体であった地域ではそう呼ばれ、出雲方面の風習が発祥であろうと考えられています。とんどを爆竹と当てて記述する文献もあるそうです。これは燃やす際に青竹が爆ぜることからつけられた当て字であろうと考えられています。
 子供の祭りとされ、注連飾りなどの回収や組み立てなどを子供が行う事も多いそうです。また、小学校などでの子供会(町内会に相当)の行事として、地区ごとに開催される事もあるそうです。地方によって、焼かれるものの違いもあるそうです。
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2012年01月13日

今日の館内の様子(「使送」と「子育てサロン」)

(1/13・金)
 毎月原則として1日と15日は、市の広報紙等が各町内の配布依頼者の所へ届けられる日です。今回は、15日が日曜日、14日が土曜日のため本日(13日)が使送日になります。
 各町内の配布依頼者から町内の各組(組長さん)に配布されて各家庭に届くわけですが、当公民館でも原則として毎月15日(今回は今日)には幼稚園や保育園、小学校、中学校、コミュニティ委員会等から依頼されたチラシなどを「公民館メモ」と一緒に町内の配布依頼者のお宅へお願いして届けています。

 毎回各町内の配布依頼者宅へチラシ配布のお願いに行って感じるのですが、最近配布物が多いため、配布依頼者の方々は組ごとに分ける作業が大変だろうと思います。
 ちなみに、1月現在回覧文書の場合は、433部。これが、各戸配布になると5,017部です。
 大変な作業を得て回覧される配布物です。しっかり見て(読んで)、できるだけ早く隣のお宅へ回して欲しいと思います。













 今日も外は冷たい風が吹いていますが、子ども達の健やかな成長を願い、“子育ての悩みや心配事を相談したいなあ、子どもは大きくなったかな?ママ友達が欲しいなあ、親子で安全に安心してあそびたいなあ”、などの要望に少しでも応えようと地域子育て支援の活動である、市社会教育課主催の『子育て広場“ロクティ”』の今年最初の活動が外の寒さに負けないような熱気に包まれて行われており、昨日に引き続き公民館に小さな子どもたちの声が響きわたり、活気がみなぎっています。

 実施に関しての詳しいことは、「子育てカレンダー」(島田市市民福祉部児童課発行)や「六合公民館メモ」等で、開催日を確認し、子ども達の健やかな成長のためにも、いろいろな「子育て支援事業」の活動をご活用していただければ嬉しいです。
作成者:Sato


  


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2012年01月12日

今日の館内の様子(「男の料理教室」と「にこにこ広場」)

(1/12・木)
 平成19年にスタートした公民館主催講座「男の料理教室」も今年で5年目に入り、第1回目を6月9日(木)に実施し、今回(12日)は6回目です。(但し、12月に実施した「そば打ち体験」を除いて。)
 今年の受講生は、62歳から89歳までの18名で、5つのグループに分かれ、それぞれのグループには当館で活動してくれている「料理と健康を考える地域の主婦グループ“あけぼの健康グループ”」の方々にご協力をお願いして、今年も講師としてついてご指導に当たってもらっています。 
 今回のメニューは、季節感たっぷりの〔七草粥、ぶりの照り焼き、豆腐サラダ〕です。
 参加者は、手順や道具類の扱いにもしっかり慣れ、講師の指導にしっかり耳を傾け、最後まで興味を持って挑戦し、すばらしい料理を完成させていました。






 













 今日は、今年一番の寒さだったそうですが、当公民館の館内には、外の寒さに負けない元気な子どもの声が響き渡りました。
 六合第二保育園主催の「にこにこ広場」への参加者です。
 内容は、子育て中の親同士が友だちになっておしゃべりしたり、安心安全な場所で子どもと一緒に遊んだり、悩みを保育士さんに相談したり、入園前の保育園の雰囲気を感じたりしていました。
 
 月2回(主に第2・第4木曜日)午前10時から11時30分をメドに行っています。
 詳しいことは、「子育てカレンダー」(島田市市民福祉部児童課発行)や「六合公民館メモ」等で、開催日を確認して子ども達の健やかな成長のためにご活用ください。
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2012年01月11日

「鏡開き」(1/11)

(1/11・水)
 今日は「鏡開きの日」ですね。鏡開きの日には今年1年の一家円満を願いながら、神様に供えた鏡餅〔かがみもち〕をおさがりとして頂きます。お供えをおろして皆で食べる習慣は「直会〔なおらい〕」といって、様々な祭祀の際に今でも行われています。神人共食〔しんじんきょうしょく〕することで、神力の恩恵にあずかれると考えたかららしいです。
 最近では「歳をとる」ことは悪いようにいわれますが、元々「歳をとる」ことは人々に歓迎されていました。正月、神様は全ての人や物に新しい生命を与えるために現れると伝えられています。つまり、「歳をとる」ということは一年に一度新たに生まれ変わるということだったのです。今風に言えば「リセット」をすることが出来る日ということでしょう。そして、その歳神様の霊力を移しとる道具が鏡餅でした。この鏡餅をお供えし、そのお餅を食べることによって、私たちは新しい生命を歳神様に頂くことが出来たのです。
 鏡餅は、大小の丸い餅を重ねて出来ており、橙〔だいだい〕、譲葉〔ゆずりは〕、昆布、裏白の葉などで飾られます。古来から、お餅は歳神様のご神体であると考えられていました。また、餅は"望月〔もちづき〕(満月)"に通じ、その丸い形から家庭円満を象徴するとも考えられており、縁起物としてお正月に飾られるようになりました。
 この鏡開きの日には、飾っておいて硬くなったお餅をかなづちなどで叩き「開き」ます。鏡餅には歳神様が宿っているので、神様とも縁を切らないように「割る」や「砕く」とは言わず「開く」と、縁起のよい表現を使いました。また、鏡餅を食すことを「歯固め」と言っています。これは、固いものを食べて歯を丈夫にし、歳神様に長寿を願うことからといわれています。
 古来、神前には円形の鏡を祀るのが日本の礼式でした。奈良時代の頃から鏡餅は神前の捧げ物として既に用いられていたようです。日本人の文化として古くから根付いていた鏡餅は、やがて正月飾りとしては欠かすことのできないものとなりました。
 鏡餅が現在のような華やかな形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降のことです。神聖なものである鏡餅には、人々の様々な願いが込められるようになり、譲葉・熨斗鮑〔のしあわび〕・海老・昆布・橙などの華やかな飾りを載せた現在のような具足餅〔ぐそくもち〕(武家餅)になったそうです。
 今日では、三方に半紙を敷きその上に裏白の葉を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しするめ・橙・昆布を飾る、という形式が一般的らしいです。
 ちなみに鏡開きは元々1月20日が主流でしたが、江戸時代に徳川3代将軍家光が亡くなった事からこの日にお祝いをすることを避け、現在のように1月11日に行うようになったようです。
作成者:Sato


  


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2012年01月10日

2012年の初日の出

  あけましておめでとうございます v(*^o^*)/
 今年こそは、岸の大日山で日の出を拝み、いち早く、お世話になっている方々に挨拶できればと思ってました...が、近場白岩寺で済ませてしまいました。我が家の受験生とその同級生、親しい同期生や家族がそちらに行くと言うので...チョッピリ渋ったものの(白岩寺関係者様ごめんなさいm(_ _;)m)、連れて行ってもらいました。
 幽霊の掛け軸で知られている白岩寺へ続く坂は、なかなかの坂で、幼少の頃から、掛け軸目当ての輩(やから)に連れられ(見れっこないのに...)、向かう度(たび)に、どうなるかと思いました。
 同行した友人のご主人は、15分で登れるなどと、サラリ言うけど(T_T)…時間じゃないんですーo(`3’#)o!!! 歩くのも苦手なのに、登らなければならないんです。しかも、日に日に重たくなってく身体で...(oo);
 案の定、麓(ふもと)の階段で遅れをとって、しびれを切らした友達が手をさしのべてくれました。~手をつないでも登るのに変わりはないじゃん~とバチ当たりなことを思いながらも、好意に応えたかのように、手を掴(つか)んだら、「あんたじゃない!荷物!」と言われ、苦しいくらい大笑いして、しばらく力が入らず崩れ落ちそうでした。後で聞いたのですが、手をさしのべてくれた彼女も、この時、お腹が痛くなるほどおかしくて、登れないかもしれないと思ったそうです。
 この日は、早朝5時、息子の同級生からの玄関チャイムで始まりました。真っ暗で寒い2km程の道のりを自転車で訪れてくれ、息子が起きて来るまで…と、一緒に即席のスープを飲んでましたが、一向に物音すらせず(-“-;)...。...起こす時に伝えた友達の名前が兄と同じだった為に眠りを優先させたようです。お腹も空いてきたのでバナナを食べててもらいましたが、若者には、やっぱ米でしょ!? 軽くですが、おにぎり用意して...、私まで食べてしまいました (oo)  こんなことをしているうちに、出発の時刻が迫り、慌てて身支度。当然、落ち度あり(++;) 普段履きの踵(かかと)のある合皮の靴で来てしまいました(>O<;)アッチャーッ!!!
 白岩寺の更に上、テッペンに公園があり、皆、この付近で日の出を待ちます。気遣ってくれた?友達が携帯電話や手袋の入ったカバンを持って先に行ってしまったものだから、帰るわけにも行かず、冷たい手に息(鼻息?)をかけながら、友のもとを目指しました。たどり着いてすぐ、カバンをもらい、手袋をはめると、ご来光かぁ~O~?!?!?!?!
すぐさま、手袋をはずし、カメラを出して、いざ撮Yeah~(b^_°)!!!!
曇りがちで理想の日の出と言えませんが、これもまた出向いた者へのご褒美かと思えるほど素敵な輝きを見せてくれました。
 出来ばえは勘弁していただいて、今度は山下り!!!!!
どの位置に、どういうふうに足を運べば良いのかわからず駆けるように滑り降り、誰から見てもビビッてるなんて思われなかったんじゃないかと….f(・・;)
途中のお堂前では、御仮屋の自治会の方々が甘酒やお酒を、子ども会の役員の方々が、具沢山の豚汁を振舞い、参拝者の冷えた身体を温めてました。毎年恒例で、私が役員をした年は、こちらに5時頃集合で、みんなとワイワイお汁粉を用意したのを思い出します。
お参りしてから、豚汁や甘酒を(何杯も)味わい、満腹になって帰りましたV(^_^)-☆ 御仮屋のみなさんありがとうございました。
 また、だらだらと日の出から反れた話しに付き合わせて申し訳ありませんでした。深くお詫び申し上げます。
作成者:Sakata

  


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2012年01月10日

今日は、「110番の日」ですね

(1/10・火)
 この記念日は、110番の適切な使用を推進しようと、警察庁が1985(昭和60)年12月に制定し、翌1986(昭和61)年から実施しているそうです。日付自体は緊急通報制度の興りなどとは全く関係なく、語呂合わせの一つのようです。(制度が出来たのは1949年10月1日である)。
 全国の警察で、ダイヤル110番の有効・適切な利用を呼びかけるキャンペーンが行われるそうです。
 110番は、GHQの勧告で1948(昭和23)年10月1日に、東京等の8大都市で始められたそうです。東京では最初から110番だったそうですが、大阪・京都・神戸では1110番、名古屋では118番等地域によって番号が異なっており、全国で110番に統一されたのは1954(昭和29)年だったそうです。
作成者:Sato

  


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2012年01月09日

成人の日(1/9)

(1/9・月)
 島田では、成人式が昨日行われて、思い出深い物になったようですね。
 ところで今日は、「成人の日」ですね。
 成人の日は、1948年に「1月15日は、おとなになったことを自覚し、自ら生き抜こうとする青年を祝い励ます日」と法律で定められました。現在は、2000年に制定されたハッピーマンデー法に基づき1月の第2月曜日に改正されていますが・・・。
 成人の日は、新成人達が両親や周りの大人達に保護されてきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式(成人式)を行う日です。
 成人を祝う風習は古来から存在していたようです。男子は、髪を結い冠または烏帽子をつけ、服装を改め成人したことを周囲に示しました。また、幼名から烏帽子名に改名する風習も盛んでした(元服・烏帽子〔えぼし〕式)。女子の場合は"裳"という腰から下にまとう衣服を身に付ける裳着〔もぎ〕、髪を結い上げる髪上〔かみあげ〕、歯を黒く染める鉄漿〔かね〕(お歯黒)付けを成人の儀礼としていました。
 一方貴族のように位の高い人々のみにとどまらず、各地の村々でも村人たちが定めた成人の儀式が行われていました。しかしそれは、現在のようにある一定の年齢(20歳)を越えれば成人といった年齢基準ではなく、例えば「1日に60キロの芝を刈って12キロ売り歩けたら一人前の男である」など、年齢に関係なくある目標の行為が出来れば成人として認めるといったものでした。これらの儀式は成年式・成女式などと呼ばれていましたが、明治以降一部の地域を除き、衰退してゆきました。
 明治以降になると、男子は兵役につく義務を課せられました。兵役につくためには徴兵検査を受ける必要があり、この徴兵検査が成人式の意味をもち、成人式制定のきっかけとなったようです。戦後、兵役の義務がなくなり、1948年の"国民の祝日に関する法律"によって「成人の日」は正式な祝日と定められました。
 しかしおめでたい事とはいえ、何故成人の日を祝日にしたのでしょうか。世界的に見ても、このような祝日は珍しいといわれています。
 一説によると、戦後物資も食料も足りない時代で一番乏しいとされていたのは「人材」でした。良い「国家」を作っていくためには、国民自身が成長していかなくてはならないと考えた当時の役人たちは、「こどもから大人になった自覚を持ってほしい」と願ってこの日を祝日にしたそうです。このように成人の日に込められた先人の想いを知ることが、成人になる第一歩なのではないでしょうか。
 最近では、学校行事や総合的な学習の時間(総合学習)などで、20歳の半分の年齢である10歳(小学校4年生)を対象に1/2成人式(にぶんのいちせいじんしき)を開く小学校もありますね。また一部の中学校では中学2年または3年になると学校行事として立志式(りっししき)を行なうところもありますね。これは昔の成人式にあたる元服を迎える時期が現在の中学生の時期にあたるため、その風習を学ぶ意味合いも兼ねているようですね。
作成者:Sato



  


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2012年01月08日

おめでとうございます(1/8)

(1/8・日)
「おめでとうございます」
 今日、平成24年度の「島田市成人式」が午後から市民会館で行われます。
 一昨年度までの中学校区ごとの式典とは異なり、昨年度から一会場に新成人が全員集まっての開催となりました。そのため、当公民館も一昨年は六合中学校区の新成人の皆様方でにぎわったのですが、今日も華やかさがなくなり、ひっそりとしています。
 市の社会教育課に伺ったところ、六合中学校区では、男性が86名、女性が87名、あわせて173名の方々が新成人となられるそうです。
成人式は、新成人達が両親や周りの大人達に保護され(教えられ、導かれ)てきた子供時代を終え、自立し、大人の社会へ仲間入りすることを自覚するための儀式ですね。
 成人の日に込められた先人の想いを知り、今度はいままでの恩を返せるような自立した人間になるために堂々と第一歩を踏み出していって欲しいですね。








 寒い日が続いていますが、“ロクティの建物のまわりにある姫ツバキ”は、成人を祝うかのように、写真のように寒さに負けずに頑張って咲いています。これからがますます楽しみです。
 成人になられた皆様方も、社会の荒波に負けずに自分らしさを出して頑張ってください。
作成者:Sato


  


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2012年01月07日

七草(1/7)

(1/7・土)
 人日の節句(じんじつのせっく)といって、中国ではこの日に「七種菜羹」(7種類の野菜を入れた羹(あつもの))を食べて無病を祈る習慣があったそうです。
 日本でも古くから行われていたようで、『延喜式』には、餅がゆ(望がゆ)という名称で七種がゆが登場しています。餅がゆは毎年1月15日に行われ、かゆに入れていたのは米・粟・黍(きび)・稗(ひえ)・みの・胡麻・小豆の七種の穀物だったそうです。これを食すれば邪気を払えると考えられていたそうです。この風習は『土佐日記』・『枕草子』にも登場し、『枕草子』には、6日に若菜を摘んだ記述があり、かつては6日に摘んだ七草を7日に粥にして食べていた事が想像されます。
 その後、春先(旧暦の正月は現在の2月初旬ころで春先だった)に採れる野菜を入れるようになり、その種類は諸説あり、また、地方によっても異なっていたようです。現在の7種は、1362年頃に書かれた『河海抄(かかいしょう)』(四辻善成による『源氏物語』の注釈書)の「芹、なづな、御行、はくべら、仏座、すずな、すずしろ、これぞ七種」が初見とされているようです。
 江戸時代頃には武家や庶民にも定着し、幕府では公式行事として、将軍以下全ての武士が七種がゆを食べる儀礼を行っていたそうです。
 一年の無病息災を願って1月7日に春の七草を使って作る七草粥。厄払いと健康を祈りつつ、今年も元気で過ごせますように、と。
 ところで春の七草を全部思い出せますか?セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、仏ノ座、スズナ、スズシロ、と言われていますが、農家では白い米に大根、人参、小松菜、ねぎ、ホーレン草、ミツバ、セリなどを入れてごった煮にして食べたようです。
 七草粥は正月の餅腹を休ませるため、青い物を食べる日と言われていましたが、春の七草は越冬の強い植物だからこそ、冬枯れのこの季節に青い物を補食する意味があると思えますね。
 また、七草の日は初めて爪を切る日と言われ、セリなどを浸した水に指を入れてから爪を切れば、一年の間爪の病からのがれるとも言われているみたいです。
 考えてみると、秋の七草がどれも見て楽しむ植物。春の七草はすべてが食用とされているというのは面白い事を昔の人は考えたものですね。

【効能】
●せり・・・・・・・・・・・・・・消化を助け黄疸をなくす
●なずな(ぺんぺん草)・・・・・・視力、五臓に効果
●ごきょう(ハハコグサ)・・・・・吐き気、痰、解熱に効果
●はこべら(ハコベ)・・・・・・・歯ぐき、排尿に良い
●ほとけのざ(コオニタビラコ)・・歯痛に効く
●すずな(カブ)・・・・・・・・・消化促進、しもやけ、そばかす
●すずしろ(ダイコン)・・・・・・胃健、咳き止め、神経痛

 今日のこの日(七草)に合わせるかのように、元六合コミュニティ委員会会長で、子どもチャレンジクラブ推進委員をやっていただいている曽根龍夫様が「七草」の鉢植えを持って来てくださいました。カウンター上に飾ってありますので来館の折にご覧ください。
作成者:Sato



  


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2012年01月06日

まだまだ・・・です(1/6)

 一昨日(4日・水)から当公民館でも、業務(貸し館等)を始めていますが、一昨日の使用団体は、午前中に、1団体が活動し、午後から夜間にかけては、使用予定はありません(3団体がキャンセルされました。)でした。午後は、「フッ素」の洗口液の配付がありましたが、来て配付を受けた方々は普段の配付に比べると半分以下の人数でした。
 隣の、地域連携施設は、夜間に1団体が使用されました。当日(4日)、ブログを公開してから、午後急に電話等で申込みがあり、2団体(午後から夜間と夜間のみ)が追加で使用されることになりました。
 そして昨日(5日・木)ですが、夜間使用1団体のみ(1団体がキャンセル)でした。隣の連携施設も午後から夜間にかけて3団体の予約が入っていましたが、1団体がキャンセルされ使用したのは2団体でした。
 今日(6日・金)は、朝から夜間まで6団体の使用が予定されています(5団体がキャンセルされました。)。隣の連携施設では、午後から夜間にかけて2団体が使用予定です。
 図書コーナーも、今までの忙しさとはうって変わって午前中は小さな子ども連れの方が時々訪れて本を読んだり借りていったりしています。
 松の内明けの7日以降、平常の使用状態に戻るようです。
 職員は、この機会を利用して、集中して今年度のまとめをしたり、次年度の計画書等の作成に取り組んでいます。ただ、午後からは学校も終わるので子どもたちが大勢図書コーナーを利用されると思います。
 写真は、閑散としている1階の館内です。
作成者:Sato


  


Posted by Rokuty  at 12:41Comments(0)

2012年01月06日

「小寒」(1/6)

(1/6・金)
 「小寒」とは寒さが最も厳しくなる前とか、寒さが加わる頃という意味で、いわゆる『寒の入り』とも呼ばれ、今年は今日です。この日から寒中見舞いを出し始めます。

 「小寒」後15日で「大寒」に入り、「大寒」後15日で、寒が明けます。「小寒」から「節分」までが『寒の内』と呼ばれています。

 「寒の内」とは一年の内最も気候の寒い季節のことで、暦の上の「寒の内」が実際には気温の最も低い季節です。この寒さを利用して、凍み豆腐や寒天づくりなど、寒の仕事が始まります。
 一方、小寒の四日目を「寒四郎」と呼び、この日に雨が降るとその年の天候が悪く不作、九日目は「寒九」よ呼び、この日に雨が降れば(寒九の雨)豊作になるなどといわれていたそうです。
 暦が、農作業と深く結びついていたことが、これらの故事からも伺われますね。ちなみに、寒九の水で薬を飲むとよく効くともいわれていたようですよ。
作成者:Sato














 「寒の入り」の寒さにも負けずに“ロクティの建物のまわりにある姫ツバキ”は、期待通り、写真のように頑張って咲いています。これからがますます楽しみです。
 来館された折に、是非見てくださいね。
作成者:Sato



  


Posted by Rokuty  at 08:19Comments(0)

2012年01月05日

干支の「辰」をいただきました

 今年(5日)も、東町にお住まいの「工房中村」の中村様が今年の干支の「辰」の模型を造って持って来てくださいました。
 昨年は、やはり干支の「兎」を造って持って来てくださいましたし、時々かわいい作品を造っては持参してくださっています。
 今回は、「辰」のほかに、「十二支の動物」も造って持って来てくださいました。
 カウンターに展示してあります。ぜひ、来館された折にはご覧ください。
お忙しい仕事の合間に造ってくださった貴重な作品をくださいまして、本当にありがとうございます。
作成者:Sato




  


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